かわむら こども クリニック NEWS  平成13年11月号


100号を迎えて

−生きてきた証−
お陰様で、かわむらこどもクリニックNEWSが100号を迎えることが出来ました。これも、ひとえに患者(読者)さんの支えのおかげだと思っています。思い起こしてみると、今から8年前「お母さんの不安・心配の解消」の理念をもって開業し、その理念の実践のため院内報を発行しました。第1号発行までかかった時間が、今では懐かしく思い出されます。毎月新しい題材を探し、話題が重ならなようにと思いながら、紙面 を作り続けています。振り返ってみると、あっと言う間に過ぎてしまいましたが、この100号という蓄積は大きな財産になりました。はたしてどれだけ、皆さん方の役に立って来たのでしょうか。記事で弱音を吐くと頂く励ましの投書やメール、何気ない感謝の投書などが支えになって、ここまでやって来れたのだと思うと、感謝の気持ちで一杯です。
 先月、小生も50歳になりました。50歳と100号、どうも大きな区切りのひとつのような気がします。このような区切りの時期を迎えると、誰でも考えてしまうことがあります。今までどう生きてきたか(何をやってきたか)と、これからどう生きていくか(何をするのか)です。やはりこの年になると、生きてきた証ということが気になりだしました。今までのことを少し思い出してみます。長年にわたり新生児医療に従事し、たくさんのお母さん方とのふれあいの中、お母さん達の喜びと悲しみの涙に育てられました。現在あるのも、そして当院の開業理念である「お母さんの不安・心配の解消」も、全てその時学んだことが基礎にあるからです。
 実は一つの証と呼んでいいことが、今年ありました。今から17年前仙台赤十字病院で、576gと630gの双児の男の子が生まれました。当直は産婦人科の先生と二人、産科の先生は母体にかかり切り、小生一人で順番に赤ちゃんの対応をしなければなりませんでした。十分な呼吸が出来ないため、二人とも挿管(細いビニールの管を気管の中に入れること)して、保育器に収容し人工呼吸器による治療を始めました。生まれてから6ヶ月程保育器の中で育った兄弟は、無事退院となりました。その後、小生は日立製作所日立病院に新生児集中治療室を開設するために赴任しました。576gの子は昭男君といい、日立市で一度、小学校へ入学する頃に会いました。今年の夏、「仙台に来る用事があるので、是非お訪ねしたい」との電話がありました。高校生になった姿が想像できず、期待よりむしろ不安がつのるなか、会う日を待つことになりました。訪ねて来てくれたのは、見覚えのあるお父さんとお母さん、そして小生より立派な体格をした青年でした。その青年が、誰あろう昭男君だったのです。昭男君は、高校ではウエイトリフティングに所属していると聞いた時、思わず胸に熱いものが込み上げて来ました。不安のなかで出産し、心配な思いで保育器の中を覗き、ここまで大事に育てていただいたお母さんお父さんの苦労には、頭が下がる思いでした。
 自分の行ってきた道を、自分で評価することは簡単です。しかし生きて来た証とは、自分で証明するものでは無く、誰かが証明してくれるものだと改めて感じました。開業理念、クリニックNEWSの発行、ホームページの開設、お母さんクラブの開催、患者さん専用のメールアドレス‥などです。今回100号を迎えること、ホームページのアクセス数など全てが、当院のかかりつけの患者さん、HPへアクセスする方、医療相談者、メールを送ってくれる患者さん、そして評価してくれるマスコミの方など、様々な人たちの支えによって成り立っているのです。また、今回たくさんのお母さんや子どもたちの協力を得て、特集号にすることが出来ました。そして家族やスタッフの支えにも大きな力があったことを、付け加えておきます。この場を借りて、支えてくれた多くの方々に感謝したいと思います。本当にありがとうございます。この区切りが自分にとっても、また新しい一歩を踏み出す力になると信じています。
100号記念特集号(PDF):クリックするとPDFファイルで、全ページ(8page)を読むことができます。

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