かわむら こども クリニック NEWS  平成13年2月号


性善説?、性悪説?

 人は生まれつき、善人なのでしょうか。最近時々テレビのニュースなどを見て、ふと考えてしまいます。 「性善説」と「性悪説」という言葉を知っていますか。人は生まれながらに善(良い人)を持っているのか、それとも悪(悪い人)を持っているのかということです。人はうまれながらに善人なのか、悪人なのかという論争は、何度も繰り返されていますが簡単に答えが出せるものではありません。
  マスコミで取り上げられる様々な事件、例えば医師が患者を安楽死させる、警察官が犯罪を犯す、消防署員が放火する、教師が生徒と援交する、母親がこどもを虐待死させる。このような情況を垣間見ると、悪い心持って生まれてきていると考えざるを得ません。人の命を救うべき医師が患者の死を早めること、犯罪を取り締まる立場の警察官が犯罪を犯すこと、消火しなければならない消防署員が放火をすること、守る立場の母親が子どもに虐待を加えることなど、すべて許されるものではないのです。最近は医学の領域での犯罪や医療事故が話題に上ることが多く、仙台市の某クリニックでの筋弛緩薬による殺人事件、薬物や患者の取り違えによる医療事故など連日報道されています。このような事実から、やはり人間は「性悪説」と言うのが正しいのでしょうか。人は悪の心を持って生まれてきている、その悪を押さえつけるためにしつけや教育が必要なのでしょうか。医療従事者は生命の尊厳について、警察官や消防署員は正義や職業の意味について十分学んできているはずです。母親は常識や自分の幼児期の体験や学習によって、子育てについて学んできているはずです。しかしそのような教育や経験によっても、悪として生まれた人間をコントロールすることはできないのでしょうか。そのため人を裁くための罰則が必要なのでしょうか。何かこう考えると、本当に寂しい気がします。
  一方小児科の立場から考えると、「性善説」と思えることがたくさんあります。産まれた我が子の姿を見てうれし涙を流す人がいても、悲しい涙を流す人は居ないはずです。また初めて赤ちゃんを抱く機会があれば、怖がることがあっても皆笑顔になるはずです。また誰にも教えられず赤ちゃんは笑みを浮かべ、この笑顔は他の人の笑顔にと連鎖していくのです。赤ちゃんが泣きやまず思い通 りにならないときや、夜泣きで困ったときでも、次の瞬間の赤ちゃんの笑顔で心が和むことはよくあることです。診察の忙しい合間に見せてくれる赤ちゃんの笑顔で、ほっと一息つく小児科医は自分だけではないでしょう。赤ちゃんの無邪気な笑顔は、皆を幸せにしてくれるものかもしれません。そんな笑顔を見ていると、「性悪説」という言葉なんか吹き飛んでしまいます。
  医療従事者や警察官などの不祥事や事件があると、待っていたかのようにマスコミは騒ぎ立てます。しかしマスコミなどで問題となるのはほんの一部で、ほとんどの人たちは職務に忠実に患者さんや市民の皆さんのために働いているのです。その事実からは「性善説」を信じることが、本来の人間として大切なことかもしれません。人にはどちらの要素もあり、例を挙げて示したようにほとんどの人は生まれながらに良い人と考えたいところです。しかし誰が性善で誰が性悪なのか、産まれたときに判断することはできません。判断できないからこそ、子どもの将来を見つめ躾や教育ということを考えながら子育てをしていく必要があるのです。
  今回は「性善説」と「性悪説」について書いてみましたが、結論が出ることではありません。このようなことを考えることも、何か育児に役立つかもしれません。たまには難しいことについて、考えてみるのもいいでしょう。


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