かわむら こども クリニック NEWS  平成23年4月号


東日本大震災

 東北地方太平洋沖地震は、未曾有の被害をもたらした。地震によってもたらさせた被害を東日本大震災と呼び、3週間経った現在でも大きなツメ跡を残しているばかりか、更なる問題を引き起こしています。
 はじめに、今回の震災で被災した方々にお見舞いを申し上げるとともに、亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
3月11日(金)14:46予防接種の最中に、突然の轟音(聞こえたような気が)と、とてつも無い大きな揺れが。あまりの大きさで覚えてないけど、時間も長く、立ってられないほど。患者さんたちの大きな悲鳴も飛び交う状況。たまたまクリニックにいた4組の家族とともに、スタッフは抱きあいながら余震のなかで冷静に対応。被害の大きさが気になっていたけど、停電でテレビも見れず、もちろん携帯もつながらない。暗くなるに連れて、不安が大きくなり、家に帰れないと訴える家族も。少し落ち着いた時期を見計らい、2階の院長室へ。1階のクリニックよりもひどい揺れでメチャクチャ。スチール本棚が、イスにぶつかり壊れていた。もし自分がいたらと思うと。ご主人が迎えに来るという患者さんを夜10時まで預かり、スタッフも病院で一夜を明かした。Twitterで1回目の“大地震だ”を発信。
 12日(土)電気、水道、ガスも使えず、カルテ棚が倒れ、目一杯物が散乱したクリニックの後片づけだけに追われ、止むを得ず休診に。ラジオから入る情報は凄まじいものだけ、いったいどのくらいの被害かは、映像も無く全く不明。時々見る車のテレビでは、想像を絶する様子が。夜になると停電で真っ暗闇に加えて、救急車や消防車のサイレンも聞こえず不気味な程の静けさ。ライフラインが復旧しない状態がいつまで続くのやら。夜になるとすることが無い。キャンドルを前にして、患者さんへの情報提供のためブログを書くが、通信状態が悪くて悪くて。それでも、前日に続き2回目の情報発信。
 13日(日)カセットボンベ買い出し途中に、緊急呼び出し。渋滞に巻き込まれて身動きとれず、狭い道であわててUターンしたら後ろをガードレールに衝突。避難所で子どもが発熱ということで、そのまま学校へ。避難所には、500人を越える避難者が。インフルエンザと診断し点滴を。合間に体育館を回り、校長はじめ、先生方に状況の説明を受けた。2日目の夜には運良く電気だけが復旧。明るく暖かいというだけで幸せ。早速情報収集のためにパソコンへ。メール確認で嬉しいことが、中国の會田さん、北海道の今村さん、そしてフロリダの石鍋さんから心配と激励のメールが。こんな時だからこそ、心まで温かくなり涙も出そうに。理念である「お母さんの不安・心配の解消」の実践のためには、情報提供と早期診療開始が必要。震災後のMail Newsを22:38に発行。内容は患者さんの安否と、14日からの診療開始の案内を。送ったメールの半数以上が戻ってくるような通信環境の悪さ。
 14日(月)診療再開。水道がでないため、シロップは不可と在庫の問題から日数を短くして対応。
 15日(火)以後は連日30〜40人が受診し、口々に感謝の言葉を。それだけではなく、水が出ないと知って水を持参、お菓子や食べ物の差し入れも、本当にありがたい。夜台所から"ボコボコ"と音がした、何事かと覗いてみると蛇口から空気とともに水が出ては止まりの繰り返し。ばらく待っていると蛇口から希望のひと筋の流れが。思わず家族と万歳三唱。電気に続き、当たり前に使っているライフラインのありがたさを感じた瞬間でした。
 この頃になると患者さんに笑顔を見せているスタッフの顔にも疲れの色が、中米婦長はクリニック2泊、看護スタッフの佐藤君は自宅に寝泊まりしていたもののガス欠、でもバスと歩きで毎日通院。事務スタッフの福地君は自宅に帰れずクリニック2泊、友人宅2泊、そして避難所1泊。道端君はクリニック1泊したあと、熱を出すような状況。ここまで誰一人休むことなく、愚痴も言わず、患者さんのために働いてくれるスタッフ。金のわらじでも探しても見つからない。通えないだけで休診の診療所もあると聞いて、感謝感謝。
 患者さんが増えるに連れて悲しいことが。ご両親がが津波にさらわれたと言葉につまるお母さん、働いていた老健施設がなされ自分だけが助かったと涙するお父さん、住居が被災を受け仙台に避難してきた家族、話をを聞くたびに目頭が熱くなってくる。誰かに聞いてもらいたい。 そんな気持ちを受け止めるのもかかりつけの重要な役割。Mail Newsを流すにつれ、 “元気です”のメールだけでなく、情報提供や早期開院に対する感謝、そして激励のメールが、毎日10〜20通も。とくに放射性物質の情報提供では、安心したとの多くのメールが。携帯もつながらない時からの情報発信が多くの患者さんに役立っていたことが証明。あきらめず流し続けて、本当に良かった。
 20日(日)仙台市医師会の要請もあり、仙台市内の被害の大きい地域の避難所へ巡回。10日経ったこともあり、物資の面では比較的余裕が。子どもたちの姿は少なく、お年寄りと体の不自由な方が目立つ。場所によって差があるものの、医師や保健師の巡回も。全国各地から被災地の支援に来てくれる方々の協力、本当に感謝の気持ちで一杯。巡回の途中に、被害の甚大な場所で現実をみることに。テレビで見るのとは違う被災現場。目の当たりにする光景に、目を覆うばかりで言葉も出ない。
 書きたいことはまだまだありますが、紙面の都合で全てを書く訳にはいきません。街中は一見すれば普段と変わらない光景ですが、街の華やかさや明るさは、まだまだ感じられません。皆の後ろ姿は、何か悲しいものや重いものを背負っている気がしました。3月末にはガスが復旧し、3週間ぶりに風呂に入れました。「危険」と判断された建物が10%近くあったり、下水道が機能不全に陥っているなどを除けば、食べ物も含め普段と変わらない生活ができるようになりました。しかし、被害の大きい地域では、まだまだ多くの人たちが不自由で辛い生活を強いられています。
 日本全国の方々から震災に関して多大なる支援を頂き、感謝を申し上げます。また医療においても、医師会を始め様々な組織から医師派遣を含め、多くの支援を頂きありがとうございます。友人たちや患者さんから寄せられるメール、電話が我々の活動を支える大きな力になっています。
 宮城県だけでなく、東日本全体、ひいては日本という国自体が大きな危機に直面しています。日本の明るい未来のため、思いやりの心を持って、手と手を取りあって、一人一人ができることを考えてみましょう。小さなこと、少しのことかも知れませんが、皆が協力すれば、きっと大きな力になることでしょう。未来を信じて、自分たちができることをすぐにでも実行に移しましょう。

がんばろう!日本

震災でのクリニックの対応・院長の取組み・患者さんからのメール・被災状況は、写真満載の
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